おやぢめし

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ばあさんの味噌汁

ばあさんの味噌汁~松岡マサヒロの飯ブログ「おやぢめし」

積極的に何かを作る気分にならない朝もある。

パートナーが昨晩から夜勤で不在だったのが主因だろう。昨日オンラインのランイベントで20キロ以上走った疲労がゴリゴリに溜まっていたのもあった。なので身体が回復したがっているのか?強い空腹感が湧き上がってきた。なので、仕事が休みの祝日だったけど早めに起きてみた。でも何を食べたいという欲求も起こらず何かを作る気分にもならない。

「あ、そういえば豆ごはんを食べておかなくちゃ・・・」

昨日、パートナーのお母さんから頂いた豆ごはんが炊飯器で保温されているけれど、これは早く食べておかなければ台無しになる。じゃ、これを何と一緒に食べようか?と考えて、ふと

「ばあさんの味噌汁で一緒に食べよう」

と思いが浮かんだ。

普段から積極的に作るタイプの味噌汁ではないけれど、飯と味噌汁っ!みたいな献立をイメージしたから浮かんだのかもしれない。でも浮かんだのは出来上がった飯と味噌汁の映像ではなく、それを喰らうばあさんの姿だった。

 

ばあさんの味噌汁

 

それは、畑から採ってきた折々の野菜をザク切りしたものに、鍋の上から生卵を割り込んでグツグツと煮込んで作る具沢山の味噌汁。

今日の具材は、古さが目立ってきた新タマネギの皮をむいて半分だけ薄切りにしたものとパートナーのお母さんから頂いた採れたてのサヤインゲンを使う。

 

さて、ばあさんの味噌汁。

初めて食べたのは小学生だった。

私の両親が共働きだったせいか、毎年学校が夏休みに入った瞬間から盆あたりまで岡山県高梁市にある母親の実家へ送りつけられていた。そこでは、ばあさんとおじさん一家が住んでいて、同じく送りつけられていた従弟共々色々と面倒を見てくれた。
山に囲まれた集落のそばを流れる高梁川へ毎日のように行っては泳いだり魚を採ったりして遊びまくった思い出は今でも心地よいものだけれど、ただひとつ猛烈に嫌だったことも忘れられない。それが昼飯、ばあさんの味噌汁だった。

ばあさんの家は兼業農家で、ばあさんは朝早くから野良仕事に出ており、私たちの宿題時間が終わった10時から昼ごろまでが、野良仕事の手伝いタイムだった。手伝いを終えたら昼飯を食べるのだけど、毎回食卓に並ぶのが味噌汁。家で食べるのとは全然違う味噌汁だった。

 

ばあさんの味噌汁

 

まず、いつも刻んだタマネギが入っていた。ネギと名の付く食べ物はことごとく苦手だった。口に入れたときのアノ匂いが嫌だし、その匂いが食後24時間口の中に残り続けて、何かを食べるたびにその美味しさをいちいち叩き潰して主張するカビみたいな存在感がもっと嫌だった。

あと、生卵を割り込むのも勘弁してほしかった。自分の家では使わない具材だったので最初は新鮮だった。そう最初だけ。一口飲んでみるともう味噌汁の味ではなく卵の風味しかしない飲み物になっている。出汁の風味がかき消されているではないか!ただでさえグツグツ煮込みすぎて匂いが薄いのに・・・。そもそも何で一緒にして食べる?別々に食べたほうが美味しいではないか?

 

結局嗚咽感に負けて食べ残してしまうのだけど、ばあさんは食べれるだけ食べろといって別段怒ることもなかった。しかしその後も、ばあさんの味噌汁にタマネギと卵が入らない日はなかった。

味噌汁と香の物でご飯を食べ、茶碗にご飯がなくなると何度もお代わりをする。
「なんでこんな不味いものをそんな沢山食べるんだろう?」という疑問と「かき喰らって」いるばあさんの姿が子供心へ強烈に焼き付いた。
食べ終えたら川へ遊びに行く時間だ。食べたりない腹は畑で採れるスイカやトウモロコシ、出荷の際にハネられた桃で補っていた。


その後大人になってオッサンになっていくうちに、ネギ類は嫌いな食べ物から好きな食べ物に変わり、出汁に卵を放り込む鍋焼きうどんみたいな食べ物の美味しさも理解できるようになった。
子供たちが社会人になって自分ひとりの飯を作るだけでいい暮らしが戻ってきたころから、時折積極的に作って食べるようになっている。

 

ただ、今この文章を書いているときに気づいた。

ばあさんの味噌汁を食べようと思うときって、味噌汁が食べたいという気持ちよりも、ばあさんのように味噌汁喰って元気になろうって気持ちが強いってことだ。

 

どうやら今朝の身体は、ばあさんの元気さを呼び込みたかったらしい。