おやぢめし

「めし」から学び、「めし」から暮らしを切り拓け!

ポシャったオッサンが呟く「復活の真言」

ブログ記事「おやぢは飯で暮らしを切り拓く」のイメージ画像~松岡マサヒロの飯ブログ「おやぢめし」

「何か喰わな・・・。」

「何食べよ?・・・。」

 

これは、オッサンが大なり小なりドジを踏んだりポシャったりして、ひとしきり落ち込み倒したあと、再び立ち上がるための真言です。

 

 さて、ドン臭いポシャりのオッサンが、再び立ち上がって残りの人生を歩んでいくためにするべきことは何だと思いますか?

 

私は、新たに学び、理解に努め、実践する、それを繰り返すことだと思います。

その行動を起こすために、まず「食べる」ことから始めるべきだと思っています。

なぜならオッサンの身体は、脳ミソを含めたほとんどの部分が食べたモノによって維持増進されるからです。

 

オッサンは息をしていても老化します。誰も逃れることはできません。しかし老いと向き合い折り合っていくことで、若いころとは違う「何か」を手に入れて愉しく暮らしていくことは可能だと思っています。それはメチャメチャ面白いです(筆者いまココ)。

 

老いと「向き合い折り合っていく」ってどういうことか?

 

言い換えれば「老いていく身体の理解に努めつつ心身の成長に励むこと」です。試行錯誤や努力の方法が若いときと変わっていることに気づき、自身にフィットした新たな方法を見つけ出すことです。

 

そのことを実践するためには「相応の時間」と「健全な心身」が必要です。

しかし、オッサンに「相応の時間」が充分残されているとは限りません。一方「健全な心身」は創意工夫次第で手に入れる、もしくは維持することは可能です。

 

どんな創意工夫が必要なのか?

 

まずは自分が食べるモノと真面目に向き合ってみることに始まり、「食べること」を工夫することだと思います。「食べること」を工夫してみると、それに必要な事柄は、単に食べることだけでなく仕事や趣味、恋愛など暮らしに必要な他のコトとも固くつながっていることに気づくはずです。「食べること」を工夫することは、暮らしを工夫することにつながるのです。

そうしてポシャったオッサンは復活を始めます。

 

その昔、2人の男の子たちを独りで育てておりました。

まあまあ大きくなってくると、食べる量や洗濯量が激増して(共に野球部だった)「仕事 → 家事 → 仕事 → 家事…(以降繰り返し)」の毎日が続きます。

ある日、盛り上がった洗濯物を目の前にして心身ともに「ガス欠」状態になったとき、思わず口から出たのが冒頭の「真言」でした。

 

以降、両方の親がそれぞれ別に急死してアタフタしたときや、仕事先が突然清算されて路頭に迷いかけて現金が手元に1円しか無かったときなど、色々ポシャりましたが、今は質素ながらも穏やかで楽しい暮らしを営んでいます。

 

人生や暮らしでポシャったときからの、復活へ向けたこの真言

ここまで読んでいただいたご縁として、ぜひ覚えていただければ幸いです。

そもそも使わないに越したことは無いのですけど・・・(笑