先日、勤め先の会社から災害用備蓄食品の賞味期限切れ間近のものを数点お裾分けがあった。
その中にレトルトカレーが入っていたので、ある朝の一番飯として飲んでみた。
納豆をトッピングし、味が中辛だったので少し胡椒をふりかけてみる。
育児が忙しかった頃は、よくこうやって食べていたなぁ~・・・
その子たちも、今や立派?に社会人として巣立っていき、片方は結婚して子供まで授かり、もう片方もこの春から彼女と同棲を始めるらしいってのを風の噂に聞いている。
子供たちにとっては、小さい時からレトルトカレーを食べさせ過ぎている感があるようで、あんまり好きではないらしい。すまないねぇ~。
ところで、カレーライスに納豆を入れると、互いに持っているトロみが、足して2で割ったような融合をして米粒にまとわりつく。納豆の粘りの効果か?飯粒の周りをコーティングしてルーの水分が粒の内部に入りにくくなるように感じる。おかげで全部食べる、いや飲み干すまで米粒の固さが変わらないところが魅力だ。なんせ、ごはんは「しゃっきり」派なので。
仕事や家事が忙しくて余裕がなくなり、クソチカラを必要とする場合は、ここに卵を一つ割り込むときもある。
そうすると、カレーの辛味が減って卵の風味が味全体を覆いつくす別物の食べ物に変わる。
その昔、子供のとき、母親が作ってくれたカレーライスを食べようとしたとき
「カレーに卵入れたら美味しいねんで、」
と言われ、その通りにして食べたら不味くて、平らげた数分後に全部吐いてしまい、その後20年くらいカレーライスを受け付けない身体になったことがあった。
にも関わらず、今こうして納豆カレーを食べるときに、選択肢の一つとして卵トッピングがオレの脳ミソに存在している。
何が何でもやらんとあかんコトがあって、それを乗り越えるため、やり過ごすために「動くための栄養」を心底必要とするとき、食の好き嫌いは意外と簡単に凌駕することができる。
一人一人の個性を大事にとか、あなたは世界に一つだけの鼻、いや花みたいなことを、いちいち声高にするのも、管理人的見方をすれば、自分自身を踏み越える勇気の欠落もしくは踏み越えずに済む言い訳にすぎないともとれるから。
自分自身って自分が思っているほど確固たるものではない。
いわんや世間の常識をや。