おやぢめし

「めし」から学び、「めし」から暮らしを切り拓け!

そない急には変わらん

やれイノベーションじゃデジタル化やら、もっともらしいこと言うて、興味ない市中の大勢の人たちにマウンティングとって偉そうにしている政治屋さんとか儲け屋さんの、底意地汚い文言を修正なしで放送するテレビを見てウンザリしている日曜の昼どきでございます。デジタルデジタル言うたかって、電気無かったらただのブツですやん。電気ひっ迫してるから節電してね~❤って言うてたやん、この前も。

しかし、このウンザリ感は今日に始まったことではありません。

世の中どんなにデジタル化が進んでアホみたいになっても、機械が自分の代わりに飯食ってくれるようにはなりません。

そして、我々オッサンが人生の暮れ時を生きていくにあたって、食わねばならぬものはイノベーション不要なのです。

色んなものを調理して食べる。暮らしで消耗した身体が、それらを消化して補っていき老廃物と共に排出する。それを繰り返す。昔も今もこれからも変わっていません。

いや、数十年数百年単位でいうと何か変化があるかもしれません。しかし、そない急には変わらんのです。

我々の身体の変化というのは、おそらく脳ミソが知覚できない試行錯誤が体内で行われ続けた結果だと思うのです。なので、そないに急には変わらんとは思うんです。

先程のウンザリ感に対応するため、我々オッサンに出来ることは、対応するための気力体力を身に付けるために、栄養になると思われる様々な食材を、美味しく適量を食べて消化吸収させることが一丁目一番地なのであります。

食の知識が無くったって、とにかく「種類」を食べる。意味もなく多くの種類を食べる。雑穀飯に卵や納豆、ネギやら入れてチャーハンやら、タマネギやキャベツ、ワカメを存分に入れたお味噌汁をサクッと作ってよく噛んで食べる。身体が必要としているモノなんて事細かに分からんから、とにかく「種類」と「タイミング」で対応する。

私の妻みたいな超魅力的な女性にアプローチするため、アノ手この手の作戦を際限なしに繰り出すが如く「種類」で対応するのです。

どんな作戦って? それは内緒や。皆まで聞くな。そういうトコや。

 

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