この記事は拙ブログ「親父のおやぢめし~前書き」
からの続きです。
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久しぶりに会った親父の印象は「小さなったな~。」の一言。怒りは湧かない。
親父の再婚相手の女性そしてボクの当時の奥さん、それぞれが初対面というのもあって結構ぎこちない空気が充満するも、ボクと親父は言い合いや取っ組み合いになることもなく導かれた店内のテーブルを前にして座った。
「腹減ってないか?」
「減らして来たわ。」
「何がエエ? とりあえずラーメン食べるか?」
「任せるし。」
しばらくして出てきたラーメンは、今時の凝ったものじゃなく正に食堂の中華そばが一寸突っ込んだ感じ。
直径が大きな自家製で味噌風味の焼き豚がそう感じた理由だ。
当時の奥さんも結構食べていた。二人とも沖縄地元料理や味付けに慣れないまま数日間を過ごしただけに、食べ慣れた味の料理は何よりのご馳走だった。
「餃子焼いたろか?」
「うん。まだタレは味噌ダレでやってんの?」
「ああ。」
「久しぶりやわ。」
少し話は変わって・・・
まだ両親が一緒に暮らしていた頃、家の料理は母親が作っていた。
死んだ人の悪口になるかも知れないことを書くのもアレなんだけど、分量や味付けなどを割と適当にやっちゃう人だったので出来上がりには結構ムラがあった。
美味い!ってのも沢山あったんだけど、リクエストしたら全然違うものが出てきたりする。
インスタントラーメンの煮込み方やお好み焼きの粉と水の分量バランスなど、当時のボクが作った方が絶対に美味いというレベルだった。
しかし数は少ないが毎回美味いメニューがある。それの一つが【餃子】でね。
現在我が家が餃子を食べる時、白飯を食べずに餃子だけをお腹一杯食べる家風はこの頃に出来上がった。
普段は酢醤油で食べたんだけど、父親が仕事休みの日の晩飯が餃子だった時に彼が機嫌良い時には味噌ダレを作って皆で食べることもあった。
この味噌ダレで餃子を食べた時の感動は今でも覚えている。
以降めったに作ってくれることはなかったんだけど、母親の餃子を父親の味噌ダレで食べるのが子供時代の最高の楽しみになった。
この時だけは家族みんなが仲良く美味しく食事を楽しめたから。
話を戻して・・・
しばらくして出てきた餃子はドデカイ皿にアホほど盛られてきた。
「なんぼ何でもこんな仰山食えるかいな・・・。」
「うるさい。お前が来る言うから店閉めたけど、電話してきたんは今日の分の仕込み済ませた後やったんじゃ。明日にコレは使えん。」
「そうか、それはスマン。出来るだけ食うわ。」
とは言え、久しぶりに親父の味噌ダレで食べる餃子は母親が作ったものと全然違う感じの種で美味い。
僅かに残してしまったけど、ほぼ完食に近い勢いで平らげた。
「ご馳走様。父さんには腹立つことしかないけど、餃子のタレだけは認めるわ。美味い。作り方教えてくれ。」
「んなもん簡単やぞ。味噌とゴマを酒で溶いてラー油でピリッとさせて・・・。」
説明の仕方が漠然としてるのに腹が立ってきたけど、孫が出来たりしてまた会うこともあるだろうからそのうち・・・くらいな感じで軽く聞き流した。
その後結局父親は再婚相手の女性が病気で他界した後に店を閉め、彼の故郷である徳之島へ移って暮らしていたらしい。
そして十数年後のある日突然、冒頭に書いた通り会ったことのない従兄弟から電話がかかって来て彼の異変を知ることになる。
その後、従兄弟と何度も電話連絡を取り合うことになったんだけど、結局検査入院したところ肝臓がもういけなくて手の施しようがない状態だったそうな。
そして2011年の5月某日未明に入院先の病院で息を引き取った。
当日朝に連絡があり夕方には通夜をする&喪主はボクだから来てくれということで慌てて飛行機に乗り込むも、徳之島へ行くのは思い出しても小学4年以来35年ぶりだ。
親戚の顔や名前なんて知ったこっちゃない。しかも島言葉を操る島ンチュー相手に完全アウェー状態でやり切れるのか?
心配は表面上杞憂に過ぎなかった。表面上というのが正にピッタリな展開で既に葬儀場などは従兄弟が手配してくれていてボクは35年ぶりに会う島の人たちや親戚連中と40年来の四方山(よもやま)話を相手するだけで良かった(膨大な量に疲れたが)。
翌日骨になった父親を持って彼が住んでいた家へ行った。
35年前のおぼろげな記憶そのままの木造の小さな家だ。
もう帰りの飛行機に乗る時間が迫っていたのでノンビリはしていられない、かと言って遺品整理のためにもう一回来るのは御免だから警察の家宅捜索みたいなテンションで小さなタンスの引き出しを次々に開けて中身を見る。
ボクの妹が出した手紙などを大切にしまってあったりしたけどボクのは無い(笑)。
売ったら金になるようなものは何一つなく、紙袋にボソッと放り込んであったノート類を見つけて中を開いてみて少し驚いた。
親父のメニューのレシピが書かれてある。
ラーメン屋やのに?みたいなものも書かれてあったが、確かに餃子のレシピもあった。
しかししかししかし、これも分量や細かい材料の指定もない雑な内容で書いた本人にしか分からん類のものだ。
ただ、この家から持って出るのはコレだけで良いと決めた。
いつか試すこともあるだろう。
そして今、試してみることにした。
解読ほぼ不可能なレシピから【親父のおやぢめし】を作ってみる。
続く