再婚をしてから、外で食事をする機会が激減している。
理由は、私が家で飯を作り続けているからである。
食べることに関して、あまり頓着のない妻に、医療従事者であるゆえに勤務内容も時間もタフな妻に、栄養のバランスを考えた食事を摂ってもらいたいからだ。
つまり、気持ちを栄養に換えるという、愛情の性質変化である。
もうひとつの理由は、コロナ禍の影響だろう。
夫婦共々、仕事柄感染するリスクは出来るかぎり減らさなければならないから、外食するという選択肢が遠のいた。そこからの色んなモノゴトの「値上げ」が頻繁に行われていった結果、そのペースに気持ちがついて行ききれていない。長年身体に沁みついた「何となく1人3000円くらい?」という勘定が、レジで「10000円ですぅ~」と言われる。1人あたり5000円を超える勘定になる。もちろん気持ち良く支払うのだけれど、2軒目行こか?という気持ちが削がれるのも実感である。財布の中にお金がないわけではないのだけれど、ここでこれ以上使うなら他のことに使おうか・・・という気持ちが先に立ってしまう。自分で材料を手に入れて作って食べれば安くあがる。店が提供するプロの味ってものと比べるのは野暮だとは思う。しかし、息子夫婦に宿った新しい命やら、もう片方の結婚?やら、不意に入用のお金は多く置いておくに越したことは無い。投資?庶民に余り金は少ない。
それでも外食の機会はやってくる。放っておいてもやってくる。
10月最初の日曜日。久しぶりに妻とデートする。行き先は大阪のシンフォニーホール。生まれて初めてクラッシク音楽のコンサートを体験した。
彼女が好んで聴いているラジオのパーソナリティが企画したもので、ヴェートーベンの第九を一番から八番までの流れを追って作風と魅力に迫るという内容だった。
初めて聞くその内容に、正直理解が追い付いていかなかった。しかし、PA無しの生音で構成される音色が、これほど圧の大きなものなのかとビックリもした。ベースのラインや、普段聴くことのな木管楽器の音色に耳を傾けながら隣に視線を移すと、半目を開けて焦点が定まらない視線を漂わせている妻の姿があった。これはこれで可愛いではないか。
視線を他に移してみると、各所で「幽体離脱」をしている方々がいらっしゃる。
普段ラジオを聴いているのとは、ずいぶん環境が違うから仕方なしといったところか。
コンサートが終わって、ホールを出たところ、最寄の福島駅へ向かう人の流れが激しすぎるように見えたので、結局大阪駅まで歩くことにした。
晩ごはんどうしよう?何作ろうか?食べようか?と電車の中で話しているうち、電車の中で空腹感が増大してしまう。
そう言えば、別の局のラジオ番組でターザン山下さんが、小林祐梨子さんを「初・つぼさか商店」へ誘ってたのを思い出した。おっさんも行ったときがない。じゃ、喰ってから帰ろうと、つぼさか商店へ向かった。JR姫路駅の中央口改札を出て南側出口まで行ったら、すぐ西側の並びにある。
店内は八分の入り。たまたまかどうか知らないけど、女性の2人連れが多い。
案内された席に座って、生ビールを注文する。メニューを見るとホルモンの串焼きが美味そうに見えたので適当に注文する。「とりあえず」の一品メニューには「ショーケースにあるので自分で取ってきてください」と書いてある。後ろを振り返ると、冷蔵ショーケースの中に料理が盛られた皿が並んであった。おでんもショーケースの横にコンビニのおでん置き場みたいな什器に入っているのを自分で皿に盛りつけてくるというスタイルだ。へー。
妻にお任せして、冷蔵ケースに入っている一品メニューを見繕って持ってきてもらって乾杯した。奈良漬けとクリームチーズを混ぜたものをクラッカーで食べるやつ、マカロニサラダに味付け卵が添えられているやつなど、一品も結構な「ひねり」がある。
生ビールを呑みほした後は、赤星の大瓶を2人でチビチビとやりながら色んな話題で盛り上がる。
やがて、隣のテーブル席にも同じ年ごろの夫婦らしき方が座ってきて、店内はほぼ満席になってきた。聞いているわけじゃない、聞こえてきたのだけれど、この夫婦もターザン山下さんが言ってたのを聞いて初来店したらしい。
その後に少々追加のメニューをオーダーした中で、妻が濃い味付けのフライドポテトにハマり、おかわりをする。それを食べているうちに腹が満たされてきた。
少々小さめのテーブルに、小さめの椅子。長い時間くつろぐには不向きである。
こういうところに店の主張を垣間見る。壁一面に張り付けられているメニューを眺めると「ひねポン」とか「肉豆腐」など、姫路ならではっぽいもので食べたことのないものがある。また、いつか再訪して注文したいな~と思いつつ、スタッフに会計をお願いした。