住み暮らす集合住宅の大規模修繕工事で、足場が組まれて2カ月以上経過する。
その間、毎日がいつでも夜みたいな室内で、ベランダから取り込んだ多くの植物たちが光が足りなくなって次々と枯れていく。
中には、10年以上世話を続けていたものもあったそうで、妻の落ち込みが半端なかった。
おまけに助産師の彼女は、普段から夜勤や遅番など勤務時間が不安定だから、修繕工事の作業音は睡眠時間を削ることにもつながって、心身共に相当やられているように見えた。
普段から「めし」で彼女の身体と心を鷲掴みにするのを信条とするオヤヂにとっても、「めし」を作って食べてもらう以外は見守ることしかできない日々が続いた。
ようやく今週になって南面の足場が取れて、ベランダ越しに入ってくる窓からの日差しが我が家に戻ってきた。
数は半分以下になったかもしれない植物をベランダへ戻し、洗濯物も外に干せるようになって、妻の表情もほんの少し晴れてきたように見える。まだまだそっと見守っておこうと思う。
今日は日曜日。
残念ながら、妻は仕事でオヤヂは休み。
仕事へ出かける妻をベッドから横目で手を振って見送り、二度寝をキメたあと空腹で目が覚めた。
何か作ろう。
炊飯器には昨日の朝に炊いた飯が残っている。
リビングには、真夏の陽の光の片鱗が滲み入ってきている。見た目は心地よいけど熱い。暑いではなく熱い。
窓を開けようかとも考えたけど、PMなんちゃらを招きいれるようで気管支に悪そうと思い、エアコンのスイッチを入れて冷蔵庫を開ける。
その中は、晩飯の材料は昼から買いに行かねばならんなぁ~、という隙間っぷりだったので、あるモノでサクっと作ろうと身体に尋ねてみる。
熱い→辛いもん→カレー→無い→カレー粉→ある→カレー炒飯
決まる。
・弁当用に買ってあるウインナー、そして少々軟らかくなっているプチトマトを適量出して、適当に刻む。
・フライパンに油を入れて火にかけて、冷凍庫にあるコーンとシメジを適量いれて炒める。
・しばらくして、シメジがしな~ってなったくらいで、卵をひとつフライパンの中に割り入れて混ぜながら炒める。
・ジャーにある飯を食べたい量だけフライパンに入れて、ヘラで切るような感じで飯を崩しながら炒める。
・飯の「ダマ」が取れたあたりで、塩(気分次第でスパイスソルトなどご自由に)とガーリックパウダーを適量ふりかける。
・塩味がまんべんなく行きわたったと感じた時点で、思いのたけをカレー粉に込めてフライパンへ振りかける。
・カレー粉の色がムラなく混ざったと感じたあたりで、刻んだプチトマトを入れて、トマトの皮がクリンとムケるくらいまで混ぜ炒めて出来上がり。
これは、プチトマトとウインナーを斬るという技を持っていれば、味付けは間違うことがまず無かろうという手軽さがおススメの品である。技を持っていない、あるいは使いたくないくらい疲れている人は、そのままフライパンへぶち込んでもらってもいいだろう。味は対して変わらないはずだ。
余分な調味料を使わないため、ここでも良い仕事をするのがトマト。
雑穀飯、コーン、シメジの自然?な素材と、塩・カレー粉という割にハッキリとした味の調味料の間を取り持って、ひとつの味を演出する。
さらに、ウインナーという人工?の素材については、「あなたはココでじっとしといてね」とでも言ってる風に、口の中でウインナーを噛んで初めて、ウインナーを単独で炒めて喰っているような生々しい風味が広がるといった具合である。
いま、参議院議員選挙の選挙戦真っ最中。
オヤヂは、このトマトのような仕事を黙々と行うのが本物の政治家だと思っている。
朝三暮四のサルみたいなことを大声で叫んで、当選を訴えている候補が多いけど、それが本当かどうかを見極めるためにも、考える知恵と工夫、そしてそれを支える「めし」と「めしを食べる」ことが、普段以上に必要な時期かもしれない。
ちゅうか、これだけ暑さが続いたら、去年同様に野菜が不作で家計のやりくりがツラくなりそうではないか。
ここらで筆を置いて、マラソンの練習がてら走って買い物へいくことにしよう。
そうしよう。