おやぢめし

「めし」から学び、「めし」から暮らしを切り拓け!

パスタの摂取量と“自分らしさ”

おやぢの趣味はランニング。

今月(2024年11月)、神戸マラソン2024に出走した。

シーズン緒戦は5時間20分くらい。中盤までは気持ちよく走ることが出来たものの、暑さと練習不足で、30キロ以降は歩いたり走ったりの不甲斐ない結果になった。

この5、6年のあいだ、年末年始に決まって体調を大きく崩して、そのまま花粉症のシーズンに突入してしまう。それが終わると次は暑さで全く走れなくなってしまう。暑さが少し収まった頃、10キロを走り切るところから再スタートを切る。10月に入ってから、毎週末に20キロ走を続けて、長い距離を走れる身体作りに入ることが叶ったばかりだったから仕方ない。なので、しばらくの間はペースは二の次三の次にして「走り続け終える」ことを目標にしている。

oyajirun.hatenablog.com

 

こんなショボいおやぢでも、練習を続けているうちに、ゼーハーゼーハ―言いながらでも、何とか走り切ることが出来るようになってくる。このあたりから、自分の身体に少し変化が生じ始める。空腹感が強くなってくるのだ。速かろうが遅かろうが、長時間運動を続ける習慣が板につくと、身体の方からエネルギーを求めてくる。空腹感は身体の叫び声だ。ちょっと何かアスリートになった気分やん。

で、そういうときのカロリー補給は、昔だとパスタを好んで食べていた。
スルスルっと食べれるのが良いし、値段も安かった。
子供たちの分も一緒に作るのが楽だったし、ボリュームも簡単に調整できるし。
その昔、親一人子二人の家庭では、業務スーパーで売っていた廉価版のパスタの在庫を切らすことはなかった。

時は流れて、子供たちは巣立っていき、おやぢは再婚した(出来た、してもらった、ともも言える)。

妻が、小麦入りの食品を食べすぎるとお腹の具合を崩すとのことだったので、自然と食卓にパスタが並ぶ機会は減っていった。

しかし、「走ったあとのカロリー補給=パスタ」という公式が脳内に刻まれているのか?練習が、それなりに板についてきたあたりから、食べたいという欲求が湧きあがる。
結果、一人で食べる朝飯あるいはブランチに、時々作って食べるときが増えた。

 

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パスタソースはレトルトのものを温めてホイ。
日清製粉ウェルナの2,3人前分で売ってるアレ。
歳とって知恵がついたか、レトルトパックの袋を破いてフライパンに移し、野菜や冷凍コーンなどを足して、少しでも「作ったった感」をアピる。誰に?

茹でるパスタの量はその日の気分次第。

若かったときは、乾麺500グラムの袋がちょうど2食分。
子育て終了間際には、乾麺200グラムで良いくらい。
今はその200グラムがキツい。150グラムで腹パン。

あるとき、その150グラムの100グラムくらい食べて、そろそろ腹膨れてきたな~と感じてきたときに、その意識は(フェリスはある朝突然に)脳内に現れた。

 

「パスタ150グラムくらいで腹パンになっているのは、本当の自分なのか?」

 

というもの。

 

遺体、いや痛いやんけワシ。
なんや、250グラム食べるのが本当の自分で、150グラムくらいでは自分じゃない思うてるのかワシ。
パスタ250グラム食べるオッサンとか世界中にどれだけ居るねん?
そんなオッサン見つけるたびに、あいつはワシやんってなったらどうするねん?
あいつ250グラム食べてるけど、やっぱりワシと違うってなるんか?
ほんならワシの200グラム時代は、いったい何やったんや?
そんな自分に思い悩んで「自分探し」の旅にでも出るんか?
もうすぐ還暦やで、ワシ。

 

普段から「自分らしく生きたい」とか言うてる人から逃げるようにして暮らしているショボい人間なのだけれども、それでも「自分は自分らしいのか?」という意識は何処からともなくやって来てしまうのだ・・・というのが、今回の記事のオチだった。

神戸マラソンの次は来年2月の姫路城マラソンだ。

150グラムが100グラムになろうと、頑張って走るのだ。

 

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