おやぢめし

愉しく暮らしたけりゃ「飯」から学び、「飯」から切り拓け!

かつて「おやぢめし」は子供達との大事なコミュニケーションやったけど・・

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今日の話は、子供達がまだ小さな頃、独りで働きながら育てていく上で「食事」を大事なコミュニケーションと捉えて頑張って作って食べさせていたけど、どうもやり過ぎてしまった弊害みたいなものが現在に表面化したのかもしれないって内容です。

 

離婚をしたとき、2人の子供は5歳と2歳。共に男の子。

家庭裁判所の調停で相手と親権や養育権をやりあっていた時も、背景には自分の母親(子供達のばあちゃん)が健在で、手伝ってくれると肩を叩いてくれたから自分で育てようと覚悟が出来た。

ところがその数年後に母親が急死してしまい、母親の再婚相手ともトラブルってスッタモンダがあって今住んでいる家に引っ越し、いよいよ親子3人の暮らしが始まった。
正確には、妹が何故か引っ越した家に住み着いてきたので4人の暮らしになったのだけど。

その時のモガキ苦しみは色々な種類のものがあったけど、一番悩んだのは子供達と直接触れ合う時間をどうやって確保したらよいのか?ってヤツだった。触れ合う時間の確保を優先すれば出来る仕事も限られる・・・仕事が限られるということは収入も限られるということ。子供達が小さなうちは良いかも知れないけど、中学高校と時が進んで学費や活動費が増えていく頃には家計が破綻することは必至だ。

仕事を替えて時間の融通は少しつけることが出来るようになったものの、土日が休めない業種だったので、子供達と直接触れ合える時間はなかなか持てなかった。なので、せめて晩飯だけは自分で作って皆で食べようってことに決めた。

長男が強いアレルギー体質で卵を筆頭に色んなものが食べれないってことで、基本市販の総菜類や洋菓子ケーキの類はNG。父ちゃん自身が作らなければならない状況であったのは決める前から変わりはなかったのだけどね。

何はともあれ、次男が小学校に入ったころからは本格的に頑張った。幸いにも兄弟二人とも興味を持った野球に取り組んでくれたことから少年野球チームに入団、毎週末の練習や試合に持たせる弁当作りもそれなりに頑張った。冒頭の餃子画像は我が家の「家の味」。親子三人が揃って休みで一日中一緒にいるのは元旦だけやったので、いつの頃からか?、元旦は餃子だけ食って腹一杯になることが家の恒例行事になっていた(全盛期には三人でだいたい180~210個くらい食べた)。

色んなことがあったけど、二人とも高校まで野球をやり遂げ、3年前には次男も無事に卒業して就職し、社会人としてそれぞれの人生の歩を進めていった。親父としては最低限のことをしてあげることが出来たので少しホッとしたのだけど・・・

 

だけど・・・だ。

だけどもだけど・・・だ。

 

長男・次男二人とも、家事が全く出来ない人間になっていた。

理由はほぼ間違いない・・・オレ自身が家事を自分でやり過ぎたからだ。

 

やってる最中には全く気付かなかった。

独りでは余裕が無さすぎた。いや、力不足だった。振り返ってみてもキャパ不足だったと思う。仮にもっかいやり直すことが出来たとしても絶対に無理と断言する。
それくらいキャパ不足だった。

 

どうしよう?

洗濯や掃除などは今でも苦手。子育てという洗礼を受けてようやく下手くそなりに習慣づいた。

しかし、飯は別だ。順番で言うと一番上だ。

何を食べようか?何を食べたいか?って自分自身への問いかけから始まり、食材の調達、調理の色んな段取り、食べる愉しみ、次の食事を作るための用意・片付け・・・

飯を作って食べることは、自分の暮らしにおいては勿論、ヒトとして社会活動を営む上で重要な所作があちらこちらに内包されている。オレはそう確信している。

それが出来ないとか苦手だってのは、個人の好みや素地の違いで済むけど、知らないってのは致命的なリスクだ。自分の子供にはそんなリスクを持ったまま生きて欲しくない。

 

どうしよう?

 

親として何かひとつでも出来ることはないだろうか?やってみなけりゃいかんやろ?

 

男だろ!?

 

駒澤大学陸上競技監督の大八木さんの言葉が、今更ながら胸に堪える。

 

このブログをサルベージして復活させた理由のひとつがこのことだった。

「おやぢめし」は次のステージへ向かっていく。